逆引き武士語『是にて御免』☜「さようなら」


『これにてごめん』

武士が、辞するときのフルワードは
「さようしからばこれにてごめん」(然様然らば是にて御免)
で、実に行儀のよい挨拶になる。
が、挨拶にしてはくどくどしいので、同輩間や日常使いでは、省略して「これにて御免」であっただろう。
「しからばこれにて」という「御免」抜きの言い方も見受けられる。

☞「さようなら」は、武士の挨拶が、バッサリと省略されて、現代に受け継がれてきているようだ。
「それなら」「それでは」「さよう」(左様)に、
「そうであるならば」「それでしたら」「しからば」(然らば)が結びついた「さようしからば」
もともと丁寧な前置きの接続詞でしかなく、深い意味は無いこともあり、切り捨て御免され、さらに、「ならば」と音変化し、
「さようなら」になった。
「さらば」は、さらに窄まった形だろう。

「ごめん」(御免)とは「容赦」の尊敬語。
「許す」という意味の“免”に、尊敬の接頭語“御”がついた。
本来は、許しを与えてくれる人を敬う言い方だった。
「許す」ということは、相手を認めるという情けを含んだことばになり、武士が登場してからの言い方で、それ以前にはなかった。

「ごめん」は、「もうたくさんだ」という拒絶や断りの意でも使う。
江戸期になってからの用法だ。
「まっぴらごめん」(真っ平御免)がこれ。
「ごめんこうむる」(御免蒙る)も、本来は、「許しを得る」意味だったのが、拒絶、嫌だ、に広がり、その意味の比重がより増した武士のことばだろう。

「ごめん」は、時に感謝の意までをも表す。
気遣いいただき、お世話をいただき「ごめん」と。
ここには、感謝にたえないに、比重があって、かたじけないの思いが詰まっている。
日本人の「ごめんなさい」が、外国人に理解されないのは、
かたじけない、ありがとうの心が底流にあるからだ。

[一筆余談啓上]

「さようしからば」から「さようなら」へ。
現代日本人は、とてもきれいな言葉に昇華させた。
「さようなら」の底流には、「そういうことであるなら仕方が無い」
「諦めましょう」という無常感。
別れを不可避のものとしてそのまま受け入れようとする思想が脈々と流れている。自然に対して抗することなく諦めをつけるという潔さが、より一層美しい言葉にしている。

ところで、「御免」だ。
時代劇で『切り捨て御免』というセリフをよく耳にするが、実際の言葉としては、無かったようだ。
武士が耐え難い無礼を受けた場合は切っても処罰されないルールは、あった。(公事方御定書)
そこでは「手討ち」「打ち捨て」「無礼討ち」などといっている。
ただ、江戸では、武士が町人を無礼討ちすることは、意外に少なかった。
江戸の町民に危害を加えると、幕府への反逆行為とみなされるおそれがあったので、おいそれと刀を抜けなかったのだ。

 

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