逆引き武士語『大事ない』☜「大丈夫だ」


『だいじない』


「だいじない」
の漢字表記は「大事ない」
読んで字の如しで、おおごとではない、こと。
「かまわない」「さしつかえない」「平気だ」「心配することはない」
「たいしたことはない」などなど意味し、要するに「大丈夫」ということだ。
時代劇なら、狼藉者に襲われ、危ういところを救った主人公がかける安堵のひと言「御女中大事ないか」だ。

☞「これはほんのかたきのなかだいじないか」
(冥途の飛脚/近松門左衛門)
“ここはまぎれもなく敵の中、大丈夫なのか”

「だいじ」(大事)は、
そもそも、重大な事件とか重大な事柄をさす。
「すぐにももれきこえて てんがのだいじに及び候ひなんず」
(平家物語)
“策略がすぐにももれて、天下の重大な事件になってしまうだろう”

「大事」には別に、「仏道にはいって悟りを開くこと」の意味もある。
大事を思ひたたん人は 去りがたく」(徒然草・第五十九段)
兼行さんは、遁世を思い立った人は直ちに実行するべきである、という。

「大事にいたらなくてすんだ」という言い方があるが、
この場合の大事は、非常に心配な事態、危険なこと、病気などが重いこと。
ここから「お大事に」という言い方が生まれたのだろう。
武士語なら「養生くだされ」だ。

☞“以和為貴”(和を以て貴し)ではじまる聖徳太子の『十七条の憲法』に「大事」が出てくる。
『唯逮論大事 若疑有失』
“重大な事柄を論議するときは、判断を誤ることもある”
だから、みんなで検討しあえば、道理にかなった結論を導き出せる、と太子はお考えになられた。

「大事の前の小事」
小さな事でも軽んじてはいけない、ちょっとした油断が大失敗を招く。
というのは現代の解釈。
本来は「大事の中に小事なし」で
「大きな事を前にしたら小さな事は無視してうち捨ててもよい」
という意味に用いた。
「義朝討たばやと思はれけれども、大事の前の小事、敵に利をつくる端なれば、思ひとどまり給ひけり」(平治物語)

[一筆余談啓上]

さても、大事と大切は、どう違うのだろう。
「大事有り」というと、
大切にすべきことがあるという意味だからややこしい。
そもそも漢字の到来時には、
大事は、
「軽んじられないもの、かけがいのないもの」
大切は「差し迫っていること、緊急を要すること」を意味した。
〜ないものが、大事で、〜あることが、大切、と棲み分けられていた。
やがて大切が「そのものごとを重要視する」意味を持ち、
大事の領分にまで浸食していった。
大切の勢いは減速することなく増すばかりで、
平安末期には「肝要なさま」になり、武士の時代には「かけがいのないもの」にまでになって、とうとう、どっちがどっちになってしまった。
因に、日本語をポルトガル語で解説した『日葡辞典』では、
大切を愛と訳していた。
イエズス会の宣教師らが布教のために編纂した1603年当時、
彼らには、日本人が抱く大切への思いを、キリストの愛と置き換えられるものとして映ったのだろうか。
大事は、損得からの必要度で
大切は、心からの必要度だ、
という意見もある。
漫画家西原理恵子の自伝エッセイのタイトルは、『この世でいちばん大事なカネの話』
お金は、大切ではなく大事なモノのようだ。

 

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