逆引き武士語『堪忍』☜「忍耐」


『かんにん』

「堪忍」の「堪」「たふ」で、「こらえる」。
「忍」「しのぶ」で、「がまんする」。

忍」を解字すると、心に刃、字面からして痛い。
この痛さをがまんする、こらえる強い心を表している。
武士にとって「忍」の一字は、重い。武士とは、耐え忍んで、我慢して、お家を守りぬくものでもあった。
「且力を尽し 且堪忍して 時節を待つ可きなり」
(福沢諭吉/学問のすゝめ)

☞武士の用語としては、
「持ちこたえる」という意味でより用いられただろう。
また、「過ちを許すこと」の意でも多用された。
「ならぬところを堪忍してくだされい」

「たふ」(堪ふ)には、「負担できる」「やりこなす力がある」という意味もあり、
現代語の頑強で、すこしぐらいのことではまいらない「タフ」につながるのも面白い。
「心猛くして、性、戦ひの道にたへたり」(今昔物語)

「ならぬ堪忍するが堪忍」
堪忍のできる堪忍は、誰でもするが、
とても堪忍できないようなことを堪忍するのが、本当の堪忍だ。
最期まで耐え通さなければ、それまでの我慢もムダになる。

☞『ならぬ堪忍』は
山本周五郎の短編集のタイトルにもなっている。
目の見開きようにより、ならぬ堪忍もなる堪忍になる。
ことを教えてくれる。

[一筆余談啓上]

ならぬ堪忍に徹しついに主君の仇を討った、といえば赤穂浪士。地下鉄日比谷線築地駅近く、聖路加看護大学校の脇に、浅野内匠頭の屋敷跡の碑がある。
討入りの後、主君の墓前に報告せんと、四十七士が、泉岳寺へ向かう途中、(すでに幕府の手に渡っていたのだが)この屋敷前を通った。
この先、築地川公園沿いにあるのが築地本願寺。
浪士のひとり間新六は、携えた手槍に自身の供養料として、金子を結びつけ、その塀内に、投げ入れたという。
境内の片隅に供養塔が、ひっそり息をひそめて建っている。

浅野藩邸跡の碑と並んで芥川龍之介生誕の地跡の碑が建つ。
生家は牛乳販売会社。隣接の外人居留地の住人御用達だ。
箱根仙石原、なんと新宿二丁目にもあったが、この地にも牧場を併設していた。
あの播州浅野家の上屋敷の跡地は、牧場になっていたのだ。
そして、今は、未来のナイチンゲールたちの学び舎となっている。
芥川龍之介を知ったのは、中学一年の国語の授業だった。
四角い顔にオールバックをのせた、T先生が、読むようすすめてくれたのが『蜜柑』だった。原稿用紙にして十枚に満たない短編。
煤けた不快から一転、朗らかな感慨に満たされる組み立ての見事さ。
一気に読んで、車窓から投じられた蜜柑が、永遠に脳裏に刻み付けられた。

 

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