『ありがとう』を武士語で


☞『かたじけない』


そもそもは、身にすぎてもったいなきおことば、という気持ち。

相手の身分や言動と自分を比べたときに引けを取り、“自分には不相応で恐れ多い”といった感情を表す語で、転じて「ありがたい」「もったいない」という感謝の念を表す言葉となった。

殿様の辞書には、ありがとうのことばは、載っていないだろう。
「貴人、倖せ情けを知らず」というように、
感謝という概念すら持っていなかったようだ。
豊臣秀吉と淀君の子秀頼は、家臣に対して「大儀」という以外のことばをかけたことがなかったいという。

武士の時代、感謝の意を表すことばは、身分によっても、TPOによっても、感情の温度加減によっても異なる。
☞文書なら漢語調に「難有仕合奉存候」(ありがたきしあわせにぞんじたてまつりそうろう)と綴り
☞公にあらたまった場合は「冥加に余ります」(みょうがにあまる)で、
☞身分が上の人に対しては「忝く存じます」(かたじけなくぞんじます)だろう。☞同僚などの場合は「忝い」「痛み入る」を使い分け
☞庶民に対しては「相済まぬ」(あいすまぬ)
とでも言っていただろうか。

「かたじけない」も、町奴や江戸っ子になると「かっちけねぇ」になって、身にすぎてもったいないという心は、棚上げされていく。
「有り難き仕合わせ」も「あんがと(さん)」と粗略になる。
職人同士掛け声が通りやすいように、短く、歯切れよくなったと理解できるが、現代の「あざっす」には、どんな事情があるのだろうか?「ども」に至っては、ひどいものだ。
*めったにない、即ち「有り難い」が「ありがとう」に。

「ありがとう」の最上級ともいえるのが
☞『きょうえつしごくにぞんじます』(恐悦至極に存じます)
『つつしんでよろこぶこと』で『とてもありがたい』『とてもうれしい』の意になる。 
(用例)=「お褒めにあずかり恐悦至極に存じます」
「ご尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じ奉ります」

特に、相手の親切や厚意を受けたりして、申し訳なく思う「ありがとう」は
☞『いたみいる』(痛み入る)
「恐れ入ります」「恐縮です、心より感謝いたします」と言うような場合には、『忝い』より『痛み入ります』のほうがハマる。

◆『かたじけない』◆
漢字表記☞『忝い』/『辱い』
◯用例☞「誠に忝いことでござる」/「ご配慮の程まことに恐縮ですが辱く存じます」
◯別義
☞「おそれおおい」(分に過ぎた処遇に対して/もったいない・恐縮)
※伊勢神宮を望んだ西行、「恐れ多い」と涙をこぼした。
『何事のおはしますかは知らねども辱さに涙こぼるる』
☞「感謝にたえない」(身に余る好意に対して)   
※「感謝にたえない」ほどに有り難いと流す涙を「かたじけなみだ」という。
『情けにお庄がかたじけなみだ』(浄瑠璃/歌祭久)
☞恥ずかしい・面目ない 

[一筆余談啓上]

遊里では“なし”をきらって「かたじけなし」とは言わずに
「かたじけあり」といった。
江戸の遊郭「吉原」は、もとは葦の生い茂る湿地で「あしはら」と呼ばれていた。あしを嫌って、「よしはら」とし、その上に、縁起をかついで「吉」の字をあてたという。
花魁が主役の映画といえば、記憶の新しいところで、
「さくらん」があげられる。木村佳乃の高尾が見事だった。
濡れ場もきわどく、間夫と剃刀で相対死にを試みたシーンは、
思わず目をそらすほどで、情念の凄まじさがリアルに迫った。

TBSドラマ「JIN」で野風を演じた中谷美紀がよかった。
彼女のような格の高い遊女を「呼び出し」といった。
張り見世(店先で格子の内側から自分の姿を見せて客を待った)を
行わないから、引手茶屋を通さないと呼びだせなかったので、
そのように呼ばれた。呼び出された花魁が、禿や振袖新造を従えて
遊女屋から揚屋へ行くのを「滑り道中」といった。
また、吉原の遊里にも、廓内だけの身分秩序があり、
遊女にも私的に階級を設け、最高の者を太夫と私称し
「松の位」と称した。

因に、花魁の「です」「ます」にあ たる「ありんす」。
花魁の出身地や訛りを隠すために、語尾につけたんだそうだ。

 

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