武士語を読み解く☞『けんざん』


『お目にかかる』
の武士語は
☞『けんざん』(見参)
で御座る

目上の人にお会いすること、お目にかかることを
『けんざん』(見参)という。

『けんざん』(見参)
対面、面会の謙譲語。目上の人の元へ行き、対面すること。

そもそもは、宮中の宴会に出席することをいった。鎌倉時代に入り、主人に拝謁して、「名簿(みょうぶ)」を差し出し臣従を誓う「見参の儀」が行われるようになって
「お目にかかる」「拝謁」の意味に定着した。

「見」(けん)は、人を横から見た形の上に大きな目をのせ、人が目にとめることを象形した。
「見る」は、あう(会う)。意識的に見る、目にする、知る。男女が結ばれる、世話をするなどの意もある。
「参」(さん)の元字は「參」。跪いている人を横から見た形に、簪の光ることを示す彡を加えた上に、簪を集めて頭髪に挿している形をのせた会意。あつまる、ふぞろいの意味。

『まいる』(参る)『さんずる』(参ずる)
などと行くの謙譲語として展開される。
ある目的があってその場へ行くこと。自分の動作をへりくだって表現する。自分自身が動く際に、じぶんを指す場合のみ使う。
「馳せ参じる」大急ぎで駆けつける、急行する、

『参る』は、自分がへりくだることで相手を立てるので、行く先に敬意を払う相手がいなくても使える。
『伺う』同じ行くの謙譲語で、相手に対する敬意を表すときに使う語。行く先に敬意を払うべき相手がいる場合にのみしか使うことができない。相手がいない場合に使うと不自然。

「見参」とは別に
『さんじょう』(参上)という言い方がある。
こちらは、「見」がつかないので「参」のみ、行くことに主意がある。
へりくだった言い方で、目上の人のところに行く、という意味で、会う、お目にかかる行為は含まれない。
その意味では、「見参」は参上を意味的に内包している。
「そちらに参上いたします」
「参上する所存」
ただ単に「その場に姿を見せる」という意味でも使われる。
>「名探偵参上」
>「ただいま参上」


「参上」は、行くことを表す謙譲語なので、行く先の相手を高める気持ちも表される。
※「参上」と落書きする暴走族は、自分をへりくだっているうえに相手を持ち上げていることになる。

☞「お目にかかる」の意で、別に
『ぎょいをえる』(御意を得る)ともいう。
>「御意を得まして光栄に存じます」
お考えをうかがう、貴人や主君などの意見をうかがう、というこころ。

『えっけん』(謁見)も、貴人や目上の人にお目にかかること。
因に、『いんけん』(引見)とは、身分の高いものが、目下のものに会うこと、呼び寄せて対面することをいう。

☞「面会」「拝謁」の意で『めどおり』(目通り)
>「お目通りがかなう」
>時代劇でも「目通りを許す」という言い方がよく使われる。

☞女房言葉では『おめもじ』(御目文字)が手紙文などに使われる。

☞『すいさん』(推参)
になると、自分から一方的に訪ねていく場合に使う。招かれてもいないのに押し掛けて行く。
> でしゃばりのことを「推参者」という。

[一筆余談啓上]

参上するという意味で「罷り越す」というのもよく耳にする。
「来る」に比重を感じる。
「罷り出る」も参上で、こちらは、厚かましく、人前に登場するというニュアンスで使われることが多い。けれど、この「罷り出る」の第一義は、退出するの意だからややこしい。
かの本能寺の変の際に、信長が「女どもは苦しからず。急ぎ罷り出でよ」と言って女性たちを逃したと記録されている。

出退どちらもあり、というのは古語に多く見られる。そもそも行くの古語は「く」(来)で、来るも「く」だ。確かに行くも来るも同一の行動の視点違いにすぎない。

「罷る」とは、支配者の命によって、あるいはお許しを得て行動するというのが原義だという。
許しを得る、という気持ちを背負いつつ、他の動詞とくっついて複合語を量産している。
どちらかといえば、他の動詞を強めている用法が多く、御免を蒙って勝手にやらせてもらっているという感じだ。

武士語あるある、だと「罷りならぬ」だ。成らない、断固許さない感が漲っている。さらに、我が物顔感いっぱいなのが「罷り通る」だ。通用する意味で使われるが、時代劇では、勝手に入るぞという挨拶替わりにも用いられている。
面白いのは、間違えるに罷るをつけた「罷り間違う」という言い方。罷りが万が一の意味になっている。退いていなければいけないはずのものが、堂々と表面に出てきて、大惨事になったというようなことがあったのだろうか。それで教訓風に、間違うと大変なことになるよ、と。


罷り越される立場の水戸黄門さま。
おなじみの「頭が高い」は、横柄の意味だ。なぜそうなるのかというと、相手の身分に応じて、目礼から平伏まで段階的に作法があった。
それに適した挨拶ができていないと、本来の頭の位置より高くなってしまう。
それで身のほどをわきまえず態度が傲慢、無礼で、横柄だということになる。
「こちらにおわす方をどなたと心得る、おそれおおくも
先の副将軍水戸光圀公であらせられるぞ。えーい、頭が高い 控えおろう」
「この紋所が目に入らぬか」
と、この一連のセリフは、格さんが一気にたたみかける。
因に、助さんは「静まれ、静まれ」というだけだ。


♪人生楽ありゃ 苦もあるさ 涙のあとには 虹も出る 歩いて行くんだ しっかりと 自分の道を ふみしめて♪
もちろん、頭を高くして。


 

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