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武士語を読み解く☞『きんかい』

『うれしい』
の武士語は
☞『きんかいのいたり』
で御座る

『きんかい』(欣快)
自分の非常に喜ばしい心持ち、気持ち、思いを表現することば。

「欣快」を字解してみよう。
のへん、「斤」は木を伐採するのに使用する斧の象形。つくりの「欠」は、余分なものをかきとることをいう。
もやもやとしたものが削りとれて、すっきり晴れ晴れとした印象か。そこから、喜ぶ、楽しむ、うきうきした気分に通じた。
のへんは心が立つ立心偏で感情を意味する。
つくりの「夬」も欠ともとの字は同じで、かきとる意。
心がこころよい状態になったことをいう。快い、さわやか、気持ちがよい、胸のすくような感じに通じた。

◆武士語としては、これに「至り」をつけて語調を調えたい。
因に、「至り」(いたり)は、極み。
これ以上ない状態、極限。思慮とか情緒の意もある。
『欣快の至り』(きんかいのいたり)で、とてもうれしい、これ以上にない喜ばしい気持ちだ、となる。

欣(きん)とつく語は、概ねよろこびを意味する。
『欣然』(きんぜん)=よろこぶさま、楽しげなさま
『欣幸』(きんこう)=よろこんで幸せに思う
『欣求』(ごんぐ)=よろこんで願い求める ※「欣求浄土」(ごんぐじょうど)

<用例>
「欣快に存じ候」
「欣快に堪えない」 
堪えない(たえない)=気持ちがおさえがたい(ほどわきおこる)溢れ出てくる
「欣喜雀躍」(きんきじゃくやく)
雀がとびはね、おどる(小躍りして)ように大よろこびする。

◆『欣喜雀躍』のようにうれしいさまを表現する四字熟語として
『歓天喜地』(かんてんきち)
天に向かって歓び、地に向かって喜ぶ、の意だから、たいへんなよろこびようだ。
「この辺に蜆を拾ひ、かの辺に蛤を掠む。歓天喜地、金玉を獲る一様」(江戸繁盛記)
☞うれしさを顔全体にあらわす意の『喜色満面』(きしょくまんめん)
☞我を忘れるほどおおよろこびするのが
『有頂天外』(うちょうてんがい)など、武士も使っていそうだ。
☞荘子に、思いがけない来訪や便りを喜ぶ『空谷の跫音』(くうこくのきょうおん)ということばもある。

◆『きょうえつ』(恐悦)もうれしい意味で用いる。
かしこまって喜ぶ、ひどく喜ぶ。喜んでいるようす。
相手に対する尊敬・畏敬の念がベースにあるので、基本は、喜びの感謝を述べるときに使う。
「恐」は、びくびく、こわがるというより、おそれいる、かしこまる、つつしむの意。
「悦」は、うれしがる。喜ぶ。

☞「芸者は平手で野だの膝を叩いたら野だは恐悦して笑ってる」
(夏目漱石/坊ちゃん)
この“恐悦して笑っている”という言い回しは、堅苦しい語を諧謔にかえて、気取りを揶揄し、おかしみを増幅させている。

◆武士は言葉にするというより、文書上の表現に用いて、目上の人や貴人に対して喜びや満足を伝えただろう。
☞「この上なく、無上の喜びに溢れている有難き幸せ」というような気持ちの表現として。
「きょうえつしごくにぞんじたてまつりそうろう」(恐悦至極奉存候)
存じ(思います)奉り(申し上げます)(ございます)と、これでもかこれでもかと、謙譲語と敬語を重ねて荘重に飾り立てる。

☞「大変に喜んでいます」で
「たいけいにぞんじそうろう」(大慶に存じ候)。
▶︎「相究(き)め候由仰せ聞けられ承知仕り候、拙者も別して大慶に存じ候」=決定したと知らされ承知しました。私も大変喜んでおります。

『こうえい』(光栄)も、嬉しくてたまらない、大変にうれしい、という意味だが、
名誉なことで、誇りに感じてうれしい。というニュアンスで、喜び感が強い。

『こうじんのいたり』(幸甚の至り)
「何より幸せです」とか「ありがたく存じます」という感覚で、
多くの場合、相手に対する敬意をこめながらも
「〜してくれたら私はうれしい」という気持ちの表現で用いる。

☞他者に伝える「うれしい」の松の位が
「祝着至極に存じます」だ。「うれしいことこの上ありません」。
「しゅうちゃく」(祝着)は「うれしく思うこと」「喜ばしい」の
意味、
「しごく」(至極)は、「最高である」「この上なく」で、「もっともなこと」という意味でも用いられる。
「祝着至極」で、「よかったですね、あなたの幸せが、これ以上ないほどに私はうれしい」と、
他人の幸せや健康に対してこの上なく喜ばしいと思い、祝うことの意になる。
他者への心配りであふれたことばだ。

「欣快」「恐悦」「祝着」など、いずれも公にあらたまった場合のことば遣いだ。
武士もくつろいでいるときのことば遣いは、まったく異なっただろう。
にんまり相形を崩すのみだったり、「ウホウホ」とか「ワオッ」とか意味不明の感嘆詞をもらしたかもしれない。
手紙などでも、「連城の玉をも得し心地せり」とか比喩を多用したり、「感泣」「感涙」「随喜」「愉悦」「喜悦」などの漢語を織り込んで体裁をつけたように思う。

◆「うれしい」は、もともと「うれし」が転じたもの。
“かぐや姫は、「あなうれし」とよろこびいたり”(竹取物語)
「京に入り立ちてうれし」(土佐日記)
「鷹一つ見付けてうれし伊良湖崎」(芭蕉/笈の小文)
※ああ、あれが古歌にも詠まれた伊良湖の鷹かと、期待どおり見ることができてうれしくなる。

☞うれしの「うれ」は、「心」「心のうち」「思い」を意味する「うら」が源だとされる。
「うらがなし」「うらさびし」など、感情を表す言葉の接頭語的に用いられている。

[一筆余談啓上]

うれしいの漢字に「嬉」があてられるが、ピンとこない。
そうと定めたのは男、だからか、女が喜ぶ姿を目にしてうれしい、女を喜ばせることができてうれしい。ということか。
つくりの喜は、神を楽しませ、喜ばせるために太鼓を打って祈ることが表わされ、それに、跪いている女の人の形が合体してできた字だ。神事のイメージが強く、うれしいという思いとは、距離があり過ぎる。
晴れ晴れして、愉快なうれしい気分にぴったりな漢字がなくて、苦し紛れにあてたのだろう。それが定着してしまった。
考えようによっては、「うれしい」は、一つの漢字で表現することのできない奥行きのある感情だともいえる。
国語辞書からして、うれしいとは「それに満足し、顔の筋肉がゆるんでくる感じだ」と、実にアバウトな解説で御茶を濁している。


どんなときにうれしいと感じるのか、

やったーぁ、できたーぁ、あたったぁ、手にした、なった……
「望みがかなったとき」「達成したとき」など、自己中心の感情もあれば、
わかってもらえた、喜んでくれた、感謝された……「共感できたとき」「提供できたとき」など、他者とのかかわりから生じる晴れ晴れしさもある。

それには、相手に感謝する気持ちまでも含まれるだろう。
うれしい、と思う条件は、さまざまで、そのさまざま分の表現やことばが発せられる。
武士の時代も、そう変りはなかっただろう。
ただ多くは、「恐悦」ということばが意味しているように、武士のうれしいには、同時にありがとうが影のようについていた。
他者がいて自分がある。うれしいという感覚はそもそもそうあるものなのかもしれない。壁に向かってボールを投げるより、キャッチボールできたほうがうれしい。


うれしいについて調べていたら、「凱旋」という軍歌にあたった。
「あな嬉し喜ばし 戦い勝ちぬ 百々千々の敵は皆跡無くなりぬ
あな嬉し喜ばし この勝ち戦 いざ祝えこの勝ち戦」
なんとつまらない、“あな嬉し”だ。


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