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逆引き武士語『奥方様』☜「奥さん」

「おくがたさま」

 

他人の妻の敬称。武士の時代、その呼び方は、身分によって異なった。

☞大名の夫人は「お方さま」と尊称された。
別に正妻のことを「北の方」ともいった。寝殿造りの北の対に住んだことからいう。

☞御三家(尾張、紀伊、水戸)と御三卿(田安、一橋、清水)の妻女は、特に「御簾中」と敬称された。

☞妻の暮らす所という意味から、妻そのものの意になったのが「奥」あるいは「奥方」
「奥方さま」と敬称され、さらに「奥さま」となったのだろう。

「奥さま」は、江戸期、旗本以上の大身の武士の妻女の呼称となった。町方与力などの妻女も「奥さま」だった。
明治になって、標準語を整備する際、主に旗本の住む山の手ことばが採用された。これにより「奥さま」も標準語として現代に生き続けることになった。
また、武士の妾は「御部屋様」と呼ばれた。
現代でもマンションに住まわせたりするのだろうから「御部屋さま」といってもよいように思うが、さすがに標準語として採用されることはなかった。
因に、上方では、富家や医者の妻女も「奥さま」と称した。中級以下では「お家さま」。新婦を「ご寮人」と呼んだ。

「にょうばう」(女房)は、妻の意で古くから用いられていた。
「房」は部屋を意味する。
「故関白殿の女房、煩ふことありて」(夜の寝覚)
中世以降は、一般に婦人のことをいった。
主婦のことは「にょうばういへぬし」(女房家主)といった。

☞御家人や町方同心、下級武士の妻女は、「ご新造さま」。
新しい船を新造といい、このことばが陸へあがって、若妻を敬称した。香りが高いという印象からそう呼ばれたようだ。
もっともこの言葉は、やがて、年齢にかかわらず、妻女をそう呼ぶようになった。

☞「奥さん」のことを「お内儀」(おないぎ)といったのは、町家の妻女のこと。
「平家はかやうに 日頃源氏のないぎ支度のあるをも 知らず」と、『源平盛衰記』にあるように、「ないぎ」とは、そもそも内々のことを指した。
内々の相談などの意から、暮らし向きとか家計という意味に転じ、そこから、妻を指すようになったのだろう。
町家では、妻女が財布の紐を握っていたのかも。
ひとさまの妻女だから、相手を敬し、“お”をつけて「おないぎ」。
別に、「おかみさん」も使われていた。

☞「御か文字」という呼び方もあったようだ。女房詞で、髪のことを
“か文字”というところからついたのだろうか。

☞武士の時代のやくざ界では、親分の妻は「おかみさん」で、
「姐さん」は兄貴分の妻のこと。
甲州やくざだけは親分の連れ合いを「姐さん」と呼んだらしい。そういえば、清水次郎長の恋女房お蝶のことは、子分たちが「姐さん」と呼んでいた。このあたりの事情は、定かではない。

[一筆余談啓上]

「お富さん」といえば、歌舞伎狂言のヒロイン、だけど『夜半情浮名横櫛』四幕目/源氏店)
その人の名は、初め、耳から入った。春日八郎の歌謡曲だった。
♪粋な黒塀 見越の松に 仇な姿の洗い髪 死んだはずだよお富さん 生きていたとは お釈迦様でも 知らぬ仏のお富さん♪
なにぶん子供のこと、クロベーという粋な人が、おみこしを担いだあと、銭湯に入って、死んで仏になって、と意味はわからなくても、調子のよさで口ずさんでいた。

「いやさ、これお富、久しぶりだなぁ」につづける、本家本元の与三郎の名科白は、といえば、
「え、ごしんぞさんぇ」と言って「おかみさんぇ」と、言い直す。
何故、言い直すのか、妙にひっかかって、記憶に残った。相手の暮らしぶりとか身なりによっても呼び方が異なったのだろうか

与三郎の名科白、長舌になるが、せめてダイジェストでも、のせねぇわけにはいくめぇ。
「しがねぇ恋の情けが仇 命の綱の切れたのを どう取り留めてか
木更津から めぐる月日も三年越し(中略)
面へ受けたる看板の瑕が もっけの幸いに 切られ与三と異名を取り
押借り強請も 習おうより
慣れた時代の源氏店 そのしらばけか黒塀に格子造りの囲いもの 死んだと思ったお富とは お釈迦さまでも気がつくめえ よくもおぬしぁ 達者でいたなぁ」

 

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