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逆引き武士語『渡りに船』☜「ラッキーだ」

『わたりにふね』

どうやって向こう岸に渡ろうかと思案していた、ちょうどそのとき、
どうぞお使いくださいとばかりに目の前に舟が寄せてきた。
なんとラッキーなことだ、と。
この挿話が、法華経の「渡りに船を得たるが如く」の一文。
これが「わたりにふね」となって、俗間で使われるようになった。
「望みのものが都合良く得られること」を「わたりにふね」という。
「渡りに舟を得る」ともいう。
タイミングがよくて助かったという場合にも用いられる。

☞助かった、というニュアンスで似たような俚諺がある。
「闇夜に提灯」「地獄で仏」「大海の木片」「日照りに雨」

☞ラッキー即ち幸運に巡り合うことを「うけにいる」(有卦に入る)という。
「うけ」(有卦)とは、陰陽道で、人の生涯を干支に配して定めた年回りのうち、幸運の年のこと。
この年回り当ると吉事が七年間続くという。
「有卦に入る」は、この有卦に当ることから、幸運な目にあうことをいう。

☞幸運は「かほう」(果報)という。
「果報」は仏教用語で、前世での行いの結果として現世で受ける吉凶さまざまな報(むく)いのこと。
「果」「報」とも、現世で受け取る結果の意。
良いも、悪いもあるので、
幸運の意として「果報めでたし」、不運といえば「果報拙し」
といっていたが、いつからか
「果報」だけで「良い報い・運がいい」の意で使うようになった。
この意味の「果報」つまり「幸運」を受けた者をさすのが「果報者」
良い運を授かって幸福なこと、そのようすをいう。
「果報な身分」などと用いる。

「くちかほう」(口果報)という言い方がある。
今日でいえば、グルメ。
いつも美味しいものに恵まれていることをいう。

☞運、めぐり合わせのことを「ふ」(符)という。
守り札、お札、護符をも意味する「符」だ。
「符よし」で運がいい。
「狼のふよかりけん、その身を外れて縄を切られ」(伊曽保物語)

[一筆余談啓上]

「五つ六つでいろはを習い、はの字忘れていろばかり」
折りに付け、ちょろっと口ずさむ都々逸の一節だ。
「世の人の心惑はすこと色欲にはしかず、人の心は愚かなるものかは」
と嘆じながらも
「匂ひなどは仮のものなるに、しばらく衣装に薫きものすと知りながら
えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり」と、
官能を刺激する女性の色香に諾うといっている、
珍しく素直な兼好さんには、親しみを感じる。
この徒然草第八段で、引き合いにしているのが久米の仙人の逸話だ。
「久米の仙人の、物洗う女の脛の白きを見て通を失ひけむは、
まことに手足肌(はだへ)などの清らに肥え脂づきたらむは、
外の色ならねば、さもあらむかし」

この久米の仙人こそ、僕がもっとも愛着を寄せている人でもある。
その真っ正直さが、大好きでたまらない。
空をとべるまでもの修行を積んだ仙人でさえも、こういう隙のあること
がうれしいし、ほっとさせてくれる。
久米の仙人だが、行水をしている女性の裸を見て、墜落したものだと、
ずっと思っていた。
であるが、そもそも『今昔物語』(巻十一)はこうだった。
「空ニ昇リテ飛ビテ渡ル間、吉野河ノホトリニ、若キ女、衣ヲ洗ヒテ
立テリ。衣ヲ洗フトテ、女ノ脛マデ衣ヲ搔キアゲタルニ、脛ノ白カリ
ケルヲ見テ、久米、心穢レテ其ノ女ノ前ニ落チヌ」
なんと、仙人、素脚を見てドキドキしたという。

素脚だけで男を落とせるのだから、女子に媚態も化粧も無用のようにも
思えるが、さにあらずで、女性自身の中にある美しくありたいという
願望のなせるもののようだ。
江戸時代中後期になると「眉造り、紅粉の粧い、いとこまやか」
というように化粧が一般的なものになっていた。
心がけのよしあしもみな愛嬌より出るところなれば
「つとに起きては日々鏡にむかい、顏に化粧し、容儀をつくり」
なさい、と儒教道徳の「孝」の観点から推奨されていた。
これが地下水となってしみこみ、現代でも化粧する事が礼儀だと言う論
になって湧出しているのだろう。

 

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