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逆引き武士語『御注進』☜「報・連・相」

『ごちゅうしんにおよぶ』


「ほうれんそう」
と聞いて「ポパイ」と答える人は、相当長い間人間をやっきたに違いない。
恋人のオリーブがピンチになると、缶詰を握りつぶしてほうれん草を口にほうりこむ。腕の力こぶがみるみる大きくなってパワーアップ。悪者プルートを倒して、恋人を救い出すというアメリカンコミックだ。
’60年代前半に、テレビ放送され大ヒットした。
全米ベジタリアン協会が菜食推進のためにつくりだしたキャラクターというから、実に天晴れな宣伝戦略でもあった。
今回取り上げる「ほうれんそう」は、16世紀の渡来時「唐菜」と呼んだポパイのそれではなく、「報・連・相」。
報告、連絡、相談の頭文字をとった語で、ビジネスのフレームワークとしてよく知られている。

「報告」は、知らせを告げることで、「つぐ」(告ぐ)だ。
「八十島かけて漕ぎいでぬと人には告げよ海人の釣り舟」(古今和歌集)
「まうす」(申す)もあり。
「言う」の謙譲語で「恐れながら申し上げます」となる。
使者が戻って、報告をすることを「かへりまうし」(返り申し)という。
武士語らしいのは「ごんじょう」(言上)だ。「言上する」となる。

「連絡」は、つながりをつける、情報を知らせることで、
「あない」(案内)。公文書の内容、草案、様子、事情、内情という意味から事情を調べ、知らせる、通知という意味まである。
さらに「あないせい」などというように、取り次ぐこと、手引きの意も。
「まうしつたふ」(申し伝う)もあり。「いい伝う」の謙譲語。「お伝え申し上げる」となる。

「相談」は、話し合うこと、意見を聞くことで、
「はからふ」(計らう)。相談する、打合せをする。
「武辺乃御雑談計なり
「いひあはす」(言い合はす)もあり。
いひあはすべきこともあれば」(蜻蛉日記)
“相談しなければならないこともあるので”
「まうしあはす」(申し合わす)は「いひあはす」の謙譲語。
相談する、話し合いをする。
上司に相談する、アドバイスを受ける意味では「かたらふ」(語らう)
「博士の命婦をこそよくかたらはめ」(更級日記)
“博士(教授)の命婦(みゃうぶ・位の高い女性)によく相談するのがよかろう”

☞以上にて、報告・連絡・相談、それぞれの武士語をさぐってきたが、
「ほうれんそう」の由縁である上下間の情報の共有ということから、
武士語としては、フィーリング的に「注進」を推したい。

「注進」とは、事件を書き記して上申すること。
転じて、急いで目上の人に報告することの意味。
「注」は、「しるす、書く、記す」の意。
「つける、くっつける」意味もあり、
本文に説明をつける「注釈」はここから生じた。
「進」は、“すすめる”。「おしだす、おしあげる、たてまつる、ささげる」の意。「進言」「進上」「進呈」と同根。

☞目上の人に報告するのが基本なので、尊敬の「御」をつけて「御注進」
「御注進に及ぶ」が常套句。

☞「平氏調伏の由注進したりけるぞおそろしき」(平家物語)

☞戦国時代、主に敵軍の動きや戦況を報告する書状を「注進状」といったが、
それによって、出陣する、しないなどを決めたという。

☞上司への報告から、「上への告げ口」という意味にも転じた。
現在において「ご注進」は、告げ口という含みをもって、揶揄的に用いられる事も多いようだ。

「ご注進」が現在でも用いられるのには、芝居の影響がある。歌舞伎では花道から「ご注進、ご注進」と言いながら駆け込んでくる。このシーンが印象的で、「ご注進」が一般に広まったのだという。

[一筆余談啓上]

幕末ドラマを見ていて、官軍の将士といえば、きまって赤とか黒の毛を着けている。
あれっていったい何な
のか、とつねづね思ってきた。
官軍であることを表示するのに、
兵は肩先に錦片(きんぎれ)をつけた。
天皇の軍隊であることの誇りの
印でもあったろう。
指揮官クラスは、から牛の帽子をかぶった。これこそが、あれっていったい何の正体だった。
これは、江戸開城の後、城の倉庫に大量に貯蔵されていたから、牛の毛を見つけて、帽子を製造し、隊の識別とした。
薩摩に黒、長州に
白、土佐に赤が配布された。

戦国期、徳川の武士達は、から牛の毛を装した兜を好んで着用した。
「徳川にすぎたるものがふたつある唐のかしらに本多平八」
と、うたわれ
た本多平八郎忠勝の兜がその象徴だった。
毛の正体を知ってからは、テレ
ビ桟敷で、それまでに増して、官軍将校の毛の色に目が行くようになった。
またそれが
江戸開城前のシーンであったりすれば、したり。
考証的
に誤りなりと、間違い探しをしては得意になって、楽しんでいる。

本多平八郎は、生涯五十余度の合戦に出て、かすり傷ひとつ負わなかったという猛将。
愛用の槍は「蜻蛉切
り」穂先にとまった蜻蛉が真っ二つになったということからこの名がついたとされる。
信長から「花実兼
備の勇士」と讃えられ、秀吉からは「日本第一 古今独歩の勇士」「天下無双の大将」と賞賛された。

より興味深いのは、真田幸村の兄信之に嫁した、
娘の小松姫をめぐる逸
話だ。
幸村の大坂の陣での奮闘も、
真田家が生き残ったのも、
この父と
娘が、一役かってのことだと思う。

 

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