☞『道行き』
「みちゆき」(道行き)
このことばの第一義は、読み通り、道行くこと、道中。また、道の行き方。
古くは、「道行き」は、出発地から目的地に到着するまでの道程を口頭で語ったもので、言語化された地図だとも、あるいはことばになった旅、
詩的な地理学だともいわれる。
やがて文学的に綴った文章となり、記紀歌謡を継承した 「道行文」ともいわれ、軍記物語や謡曲などで、道中の光景や旅情を記した場面を意味するものにもなった。
さらに、 中世、舞楽や能狂言あるいは民俗芸能まで広い分野に根を下ろし、歌舞伎や浄瑠璃で、旅や駆け落ちの場面もいうようになる。
と、このままだと、ロマンスとはまだ隔たりのあることは否めない。
男女相愛の情にあふれた物語に導いたのは、近松門左衛門だ。
☞世話浄瑠璃の「曾根崎心中」で男女の心中行と道行きとを結びつけ、
叙景と叙情との混然とした哀艶切々たるうつくしい詞章をうみだした。
「此世の名残、夜も名残。死にに行く身を例うれば、あだしが原の道の霜。一足ずつに消えてゆく、夢の夢こそ哀れなれ。あれ数うれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残るひとつが今生の、鐘のひびきの聞き納め。寂滅為楽(じゃくめついらく)と響くなり‥‥」
以後、「道行き」は、男女が連れ立って駆け落ちをすること、の意になった。
男女相愛に縁取られたラブロマンスのこととなる。
☞昔、男ありけりで始まる『伊勢物語』の業平の恋は「道行き」だった。
天皇の妃となる身の姫君をおぶって逃げだしたのだから。
☞歌舞伎の「義経千本桜」に「道行初音旅」という演目がある。。
静御前が義経を恋するあまり、吉野に向かうというもの。
女一人の「道行き」だが、恋情にあふれたまさにロマンスだ。
☞果たして武士が「道行き」をしただろうか?
身分という枷をはめられて、恋愛も困難だったに違いない。
それでも、なるようになってしまうのが男女の仲。
『仮名手本忠臣蔵』のお軽と勘平がそれだろう。
塩治判官の奥方付き腰元お軽と家臣の侍早野勘平重氏、
塩冶判官が殿中で刃傷事件を起こしたとき、
お軽と勘平はそれと知らず密会していたため、
ひとまずお軽の故郷に立ち去るために旅をする。
一途に男を愛する女と武士にあるまじき失態をしてしまったと落ち込む男。恋愛温度に差があるが、「道行き」にかわりはない。
☞「道行き幸兵衛」
麻布古川の家主幸兵衛。礼儀正しい仕立て屋が借りにきたが、
若い美男の息子がいると知るやいなや、近所の古着屋の娘と心中になるに違いない
と、取り越し苦労をして追い返す。という古典落語。
☞因に「恋」の語源は「乞い」で、相手の魂を求める心の動きだ。
☞「男女七歳にして席をおなじうせず」
「礼記」にある教えだが、江戸庶民でいう席とは、
寝茣蓙のことで、雑魚寝をさけろという理解だった。
[一筆余談啓上]
武士とひと言でいっても、
開墾地主であった鎌倉期と室町から戦国期、そして江戸期、
更に幕末とでは、そのプロフィールは大いに異なる。
「自分で拓いた田は、わがもの」という
労働と欲望と所有の直結は、リアリズムを成立させ、個を芽生えさせた。
その一現象として、
戦場や日常の進退で恥をかかないという、個人としての行動の美意識が目覚めた。
合戦は個人同士一騎打ちであるがため、独得の武勇の美意識がうまれ、
卑怯を忌み、潔さを本領とし、さらには、名を惜しむという気風ができた。
「花は桜木 人は武士」
桜は散り際が美しく、武士も死に際が潔い、と
一休宗純禅師が謳った、室町末期美しいものランキング。
戦国期に至っても、まだ形而上的なものに、精神を托するということはなかった。
目標へ駆り立てるエネルギーは、形而下的なものであり、たとえば、物欲、名誉欲であった。
道はまん中をあるかなければならず、
曲がるときは直角に曲がらなければいけない。
足袋や下駄などもそれを穿くのにかならず左から…と
江戸時代になると、武士の子は、人間はどういうように行動すれば美しいか、ということばかり、家庭教育において教えられた。
人はどう行動すれば美しいか、ということ、
節操と義理と廉恥を考えるのが、江戸期の武士道倫理。
人は、どう思考し、行動すれば、公益のためになるか、
個人より公を重んじることを考えるのが、江戸期の儒教。
カッコよさ、潔さ、見栄えのよさ、そういうところで個人を支えたり、社会の関連を辛うじて保ったりしている。
大事にするのは、行動のカッコよさ、見事な生き方。
自らの審美感に合致させるようにして生きようという考え方が育まれた。
江戸時代も降るに従って、少しずつ変わってゆく。
武士階級は読書階級になり、形而上的思考法が発達し、
ついに幕末になると、形而上的昂奮をともなわなければ、動けなくなる。
武士が誕生し、幕末期を完成形とする行程を俯瞰して、見えてくるのは
美意識というもの、かっこよさという意識が、常に選択基準として動いているということだ。
それも鮮度が重要らしく、美意識につながるものは、時節時節で変わってきた。
幕末期に完成した武士という人間像は、
その結晶の見事さにおいて、人間の芸術品とまでいえるのかもしれない。
「サムライ」という日本語が、幕末期からいまなお世界語でありつづけているというのは、彼らが両刀を帯びて斬り合いをするからではなく、
類型のない美的人間ということで世界がめずらしがったのであろう。
『武士に二言なし』☞武士は、嘘をつかない、約束を守る。
『武士は相身互い』☞武士は、互いを思いやり、助け合う。
『武士の名折れ』☞武士は、名誉を傷つける行いはしない。
『武士の情け』☞武士は相手を辱める事無く、温情をかける。
武士を冠した俚諺にも、
武士を武士たらしめる美意識につらぬかられている。
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『かご』 「のりもの」は、人を乗せて運ぶものの意で、馬、牛、車などを称し、上代から言葉として、使われている。 「花の春、紅葉の秋、のりものを命(おほ)せて向かひ」 (常陸国風土記) 江戸時代になると、 とくに許された者が […]
逆引き武士語『たわけ』☜「馬鹿者」
『たわけ』 「ばかもの」ということば自体、南北朝時代の文献にみられるという。 「ばかのもの」といい、 「狼藉をはたらく者」の意味で用いられている。 いつごろから、「乱暴者」から、現代使われているような「愚かしい」という意 […]
逆引き武士語『小町』☜「美人」
『こまち』 美人をいうのにも等級があるのだそうだ。 横綱が「佳人」で、大関が「麗人」そして関脇が「別嬪」だという。 「別嬪」は、単に美しいのではなく非常に美しい女性で、これに育ちの良さが加わると「麗人」、知性まで備わった […]
逆引き武士語『怪しからぬ』☜「無礼だ」
『けしからぬ』 「ぶれい」(無礼)も武士語として、時代劇などの登場頻度は高い。 「無礼の段御容赦」などと用いられる。 「蛮夷僭上無礼の至極ぜひにおよばず候」(太平記) “武士が身分をわきまえず無礼を極めるのは、仕方がない […]
逆引き武士語『天下太平』☜「平和」
『てんかたいへい』 「平和」は、明治に入ってもたらされた。「peace」の翻訳語として造語されたのだ。 それまで「和平」という漢語はあったが、「和することによって平らぐ」で、戦争状態だったものが仲直りするという意味だった […]
逆引き武士語『御注進』☜「報・連・相」
『ごちゅうしんにおよぶ』 「ほうれんそう」と聞いて「ポパイ」と答える人は、相当長い間人間をやっきたに違いない。 恋人のオリーブがピンチになると、缶詰を握りつぶしてほうれん草を口にほうりこむ。腕の力こぶがみるみる大きくなっ […]
逆引き武士語『異な事』☜「また妙なことを」
『いなことを』 「いなこと」(異なこと)の「い」(異)とは、普通とは異なっていること。 「妙なこと」「不思議なこと」「おかしなこと」の意味。 「い」(異)ひと言は、現在の「えっ?」のようなものだろう。 言葉として口に出す […]
逆引き武士語『天晴れ』☜「見事だ」
『あっぱれ!』 殿様が扇を開いて「天晴れ!ほめてつかわす」というのは、時代劇コメディの定番。 歴史ものではあまり見られない。 ということで、「天晴れ!」は、肩肘はらずに面白半分で、使える武士語といえそうだ。 ☞「あっぱれ […]
逆引き武士語『曲げて』☜「無理を承知で」
『まげて』 「まげて」とは、道理や意志に反して行動するさま。 「理をまげて」の意。 無理を承知で頼むときに使う。 自分の要望ををなんとか了承してほしいと相手に願う気持ちを表す。 無理でも。是が非でも。なにがなんでも。 「 […]
逆引き武士語『下知する』☜「命令する」
『げちする』 「げち」は、命令、指図すること。 上から下に知らしめるから、漢字表記は「下知」。 「命令する」は「下知する」。 ☞『平家物語』には、戦記シーンで「下知」が頻出する。(げぢと読む) “みな平家の下知とのみ心得 […]
逆引き武士語『面目ない』☜「申し訳ない」
『めんもくしだいもござらぬ』 「めんもくない」というところを 「面目次第もないことでございます」と、幾重にも丁寧を重ねたのが、 「面目次第も御座らぬ」。 「世間に合わせる顏がございません」という意味がまぶされた、お詫びの […]
逆引き武士語『約する』☜「約束する」
『やくする』 義を重んじる武士同士の間で、あえて約束などをしただろうか、とふと考えた。 約束というのは、破られては困ることを破られないようにするために、互いを拘束する決め事。だとすると、 信義にもとることはありえないとす […]
逆引き武士語『不覚をとる』☜「油断した」
『ふかくをとる』 「ゆだん」気を緩めること、注意を怠ることを「油断」と表記する。 いったいどのような事情から「油を断つ」という漢字を宛てるようになったのか? ☞語源も諸説あるようで、ひとつは、大般涅槃経に所収の「王、一臣 […]
逆引き武士語『時分』☜「よいころあい」
『じぶん』 テレビドラマ「相棒」のなかで、杉下右京が「そろそろ参る時分だ」と何気にもらした。 “えっ、じぶん、って、自分のことじゃないよね”、と耳を疑った。 「じぶん」を漢字表記すると、時間の「時」と「分」で「時分」。 […]
逆引き武士語『渡りに船』☜「ラッキーだ」
『わたりにふね』 どうやって向こう岸に渡ろうかと思案していた、ちょうどそのとき、 どうぞお使いくださいとばかりに目の前に舟が寄せてきた。 なんとラッキーなことだ、と。 この挿話が、法華経の「渡りに船を得たるが如く」の一文 […]
逆引き武士語『心得て候』☜「理解する」
『心得て候』 「こころえ」(心得)、今日でも、何かをする際に知っておくべきこと、習ったといえる程度の技芸を身につけていること、の意味で使われる。 「心得る」といって、理解する、了解する。 「心得た」といえば、細かい事情な […]
逆引き武士語『新参者』☜「ルーキー」
『しんざんもの』 「ルーキー」とは、メジャーリーグMLBの新人を指す。 大谷翔平も日本での実績にかかわらず、MLBでは、ルーキー。 新人王おめでとう。 メディアは、大谷を二刀流と称している。 なんと武士語である。 黒船の […]
逆引き武士語『子の刻』☜「零時」
☞『子の刻』 「零時」というのは、1時から1時間を引いた時。 一日が始まる時刻。明治初期の太政官逹では、夜中の12時を「午前零時」、昼の12時を「午前12時」と表記するものとなっている。 江戸時代の時刻の呼称は、二通りあ […]
逆引き武士語『道行き』☜「ロマンス」
☞『道行き』 「みちゆき」(道行き) このことばの第一義は、読み通り、道行くこと、道中。また、道の行き方。 古くは、「道行き」は、出発地から目的地に到着するまでの道程を口頭で語ったもので、言語化された地図だとも、あるいは […]
逆引き武士語『げせぬ』☜「分からない」
☞『げせぬ』 大川端に流れ着いた男女の土左衛門。冥途への道行き離れまいと、 手首と手首を結んだ帯締め紐に、目をおとした、銭形平次。 そこでひと言「こいつぁ、げせねぇ」。 平次親分の頭をかすめた疑いがもつれた糸をするりとほ […]
逆引き武士語まとめ☞あ行〜わ行
<表記凡例>『現代語』☞『武士語』※読み解き>用例/実例◯別義(武士語の他の現代語意味)◆参考 [あ]行 『あいしています』(愛しています)☞『おしたいもうす』(お慕い申す)☞『こう』(恋う☞『こがれる』(焦がれる)☞『 […]