逆引き武士語『笑止千万』☜「ちゃんちゃらおかしい」


『しょうしせんばん』

「しょうし」(笑止)は、「困ったこと」が第一義。
「気の毒なこと」「かわいそうなさま」「滑稽なこと」、さらに、「笑っていられない」と「笑わずにはいられない」、
相反する意味を持つ。
☞そもそもは、大変なことを意味する「勝事」(せうし/しょうし)が転じたという。
「勝事」とは、「人の耳目をひくようなこと」「大事件」などの意で、困ったことや気の毒なこと、即ち「笑っていられない」の意味とは通じる。
しかし、「笑わずにはいられない」には、容易に結びつかない。
さては、あまりにも無惨な事柄を目にし、見るに見かね、打つ手もなく、もう笑うしかない。というようなさまも「しょうし」というようになったのだろうか。
☞管見にすぎないが、「笑止」という漢字をあてるようになったのは、武士の時代に入ってからだと思う。
「笑うべきこと」を表現するのに、
武士にとっては、崇め奉りたいほど大切な「勝」という字を用いるなど、とんでもないことだ、ということだったのだろう。
笑いが止まらないと読める「笑止」は、当て字として絶妙だ。
この文字面ゆえに、「笑わずにいられない」の意味が主として、広まったのではなかろうか。
「笑止顔」は、気の毒だと思う、同情する顔つきをいう。
「笑止の沙汰」「笑止の至り」などが慣用句。
腕の覚束ない者が勝負を挑んできたときなどに、「ふざけるな、身のほどを知れ」というように「笑止!」と一喝する。
返り討ちにされちゃうよ、という時代劇でよくあるシーン。
「ちゃんちゃらおかしい」とは、「馬鹿馬鹿しくて吹き出したくなるほどおかしい」「まったく滑稽だ」、という意味で、江戸期にも使われていた。
とはいっても、武士身分では使わないと推察される。
ということで、武士語に置き換えるなら
「しょうしせんばん」(笑止千万)となる。
「千万」は、程度がはなはだしいという意味。
☞ところで「ちゃんちゃら」とは、
そもそもどういう素性の語なのだろう。
「ちゃら」は、おどけた文句や動作をいう「ちゃり」(茶利)「ちゃる」になり、さらに転じた語。
この「ちゃら」が、江戸っ子にとってことばの実る大きな木だったようで、これからいくつも枝を伸ばして、次々ことばがうまれたと思われる。
「ちゃらにする」=帳消し、なかったことにする。
「ちゃらつく」=冗談をいってからかう。
「ちゃらほら」=嘘やいい加減なこと。「ちゃらんぽらん」の素か。
「ちゃらける」=でたらめをしゃべる。「おちゃらけ」に転じる。
「べんちゃら」=弁口巧にいう。
「ちゃらめかす」が転じたのが「ちょろまかす」などなど、総じて、冗談、でたらめ、の表現を広げている。
「ちゃんちゃらおかしい」の漢字表記は、「茶茶羅可笑」
「茶」も、大きく展開している。
「ちゃめく」(茶めく)といえば滑稽な感じ、をいう。
「ちゃかす」(茶化す)=話しにまじめにとりあわず、冗談にしてしまう。
「ちゃちゃをいれる」(茶茶をいれる)=妨害、邪魔。
「ちゃをひく」(茶を挽く)=暇で仕事がない。と多士済々だ。
「笑止千万」と双璧をなすのが「かたはらいたし」(片腹痛し)だ。
直接自分に向けられた行為に対し、直截に言い捨てるのが「笑止千万」だとしたら、
「片腹痛し」は、一歩引いた批評家のような立ち位置が見られる。
もともとは、「傍ら痛し」で、傍らで見ていてその動作・所作がいたたまれない、気の毒、苦々しい、という意で、使われていた。
身のほどを心得ていないことが、見苦しい、みっともない。
という気分が、嘲笑とか軽侮とかもまぶされて、“おかしくてたまらない、笑わずにはいられない”ということになった。
☞その動作・所作が、滑稽に映ったということで、「おかしくて、腹をかかえる」「笑い過ぎて片腹がいたくなった」のではない。
「バカバカしいにもほどがある」「お話しにならない」と、扇をパチンとやるイメージだ。

[一筆余談啓上]

さまざまな不祥事、ゴタゴタで、ワイドショーに格好のネタを提供しつづけている相撲界だが、人気は上々のようだ。
お相撲さんというものを初めて見たのは、小学生四年の頃。

横綱朝潮太郎が近くの病院に、いまでいうリハビリ入院していた。庭で日光浴でもしていたのだろう、
仰向けのその姿は、無数のロープをかけられたガリバーと重なった。

大鵬と会ったのは、中学生になってからだった。上野の接骨院、待ち合い席に座る僕の目前をゆっくりと、まさにのし歩いていった。


江戸時代、勧進相撲といって、
寺社修復の費用を賄うとの名目で、寺社の境内で行われた。
当初は、これまた世間を唖然とさせた富岡八幡宮(深川八幡)を筆頭に、各所を転々としたが、寛政年間(1789〜1801)から両国回向院境内で行われた。
江戸の興行は、年二回春と冬、一場所は十日だった。
それで「一年を二十日で暮らすいい男」と、川柳に詠まれた。

ほとんどが大名のお抱えで、その藩の誇りをかけて土俵にあがった。
因に、古今第一位の力士といわれる雷電為右衛門は、松江藩、人気を二分した谷風は、仙台伊達藩のお抱え。

昨今、相撲好きの女性が激増しているという。
江戸時代だったら、笑止千万だが、
彼女たちを「スー女」と呼ぶそうだ。
この時代に生まれて幸いだった。
何故って、
江戸時代、相撲を見物できたのは、男子のみ。
女子の見物を許さなかったのだ。

 

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