逆引き武士語『合点がいく』☜「なるほど」


『がてんがいく』


「がてんがいく」

「がてんがいかない」
いくもいかないも「合点」の一言で、
半七も、伝七も、平次だって、捕物帳は、ここから幕が開く。
「がてん」(合点)は和歌や俳句で優れた作品の頭に付ける符合。それが一般に「承知」や「同意」の意味に使われるようになり、
「がてんがいく」(合点がいく)で、「なるほど」の意になった。
武士は、いくではなく、参るで、
「合点がまいるだろう。
「これは合点の参らぬご挨拶かな」というように。

「がってんしょうち」(合点承知)
「合点」で納得。「承知」で了解。
似た意味を二つ重ねて、リズムを付けて、いかにも江戸っ子らしい、威勢のよい言葉にした。
「付け足し語」という言葉遊びにあるのが、おっと「合点承知之助」でぇい。

☞武士語的に「なるほど」は
「いかさま」(如何様)だろう。
「いかさまな」と言ったようだ。
「いかさま」(如何様)は、状態・方法などについての疑問や困惑を表し、「どのようだ」が第一義。
いかさまに思ほし召せか」(どういうお考えがあってのことか)
これが感動詞として使われることで、
相手のことばを肯定して受ける語
「いかにも」「なるほど」の意に。
いかさま、さようでござる」というように相槌を打つ。

「いかさま」は、偽物、紛い物、の意味で、今も通用している。
判断・推量の確実さを表す「いかさまにも」が、「どうみても」「確かに」という意味で使われていた。
これが、いかにもその通り、間違いない、になり、更に、いかにも本物だと思わせるものを意味するようになり、
ことばも「いかさま」に略され、偽物という意味になった。

☞「ガテン系」は、
肉体労働の職種を指すことばとして一般に使われている。
求人情報誌のタイトルからきた。
「合点がいく」から着想したものだという。うまいネーミングだ。

[一筆余談啓上]


「合点承知」といえば、一心太助だ。

太助が殿様と慕うのが、直参旗本、天下のご意見番大久保彦左衛門。
権威におもねることの無い頑固一徹のジィさんだ。
史実としての彦左衛門は『三河物語』を著したことで知られる。
その中にある大坂夏の陣のエピソード。家康親衛隊として参戦。
真田幸村の猛攻をうけて、
本陣大混乱し総大将の旗が崩れた。
戦後、旗奉行の詮議が行われ、証人となった彦左衛門。
「御前が崩れたるとは心外なり」
御旗は崩れなかったと大嘘をついた。
旗奉行をかばったのではない、後世の上様の恥となる、と家康の名誉を守った。命をはったこの旗崩れの一件が、一心太助と大暴れする講談・小説の彦左衛門像をつくりだしたのだろう。

徳川将軍の臣下で、直参というと、旗本と御家人だった。
三河以来の徳川家家臣のうち、大名とならなかったもので、
将軍の御目見えできるかできないかで、身分が分けられた。
御目見え以上が旗本(約五千人)、
御目見えできないのが御家人(約一万七千人)。
旗本は二百石に対し五人の軍役が課せられていた。
旗本領は三百万石、七万五千の兵がいたことになり
ここから幕府自前の軍を「旗本八万騎」と言うようになった。
白金高輪駅のすぐ近く立行寺に二人の墓があり、大久保彦左衛門のかたわらに合点承知と一心太助が控えている。
そこから、目黒に向かって、ゆるやかな坂を行くと左手に八方園がある。樹齢数百年の樹木に抱えられた日本庭園。
四方八方どこを見ても美しいからその名がついたという。
ここはかって大久保彦左衛門の屋敷だった。彦左衛門の没後、島津家の抱屋敷になり、後、大正に入って
日立製作所の創始者久原房之助が邸宅とした。

 

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