逆引き武士語『不覚をとる』☜「油断した」


『ふかくをとる』

「ゆだん」気を緩めること、注意を怠ることを「油断」と表記する。
いったいどのような事情から「油を断つ」という漢字を宛てるようになったのか?

☞語源も諸説あるようで、ひとつは、大般涅槃経に所収の「王、一臣に勅して一油鉢を持たしめ、中を経由し過ぎて傾覆せしむなかれ。もし一滴を棄つれば汝が命を断つべしと」という喩話。「油を一滴でもこぼしたら命を断つ」
ここから「油断」の語が生まれたという説。
だが、経典の字句が、一般に広がるには余程の時を要したと考えられ、「ゆだん」の語は古くからあるようなので、一概には承服し難い。

☞ゆったり落ち着いている、心に余裕のあるさま。ゆったり、のんびりの意味の古語「ゆたに」(寛に)
音変化して「ゆだん」になったという説のほうが、しっくりくる。
おそらく文章用に、涅槃経文から「油断」という漢字をもってきてあてたのではないだろうか。

「ふかくをとる」(不覚をとる)「油断して失敗する」「しくじって恥をかく」などという意味で、時代劇でもよく聞かれる。
「ふかく」(不覚)のみでも、失敗すること、油断という意味を持つ。
「とる」は、語調を整えるためのものだろう。
「高名せうどて、ふかくし給ふな」(平家物語)
“手柄をたてようとして、油断して失敗なさるな”
「何たる不覚」「一生の不覚」などと用いる。

「不覚」には、油断して失敗すること、不名誉な誤ちを犯すことなどとは別義で、「意識がしっかりしていないこと」「それと気づいていないこと」の意もある。
「不覚の涙」「前後不覚」などは、この意味。

「不覚」という漢字から「覚え不、おぼえず」と想起されるが、思いがけず、知らず知らずの意の「覚えず」は、「おぼゆ」の未然形に打ち消しの「ず」がついたもので、覚え不とは表記しない。
孟浩然の詩『春暁』で知られる「春眠暁を覚えず、処処啼鳥を聞く」の「覚えず」だ。
心当たりがないの意「覚え無し」はその仲間。
「不覚人」というと、思慮の浅い者、卑怯者をいい、
「不覚」の油断とは別義、思慮分別のないこと、卑怯なことと通じなくもない。

☞「油断して失敗する」意味で、「ぬかる」(抜かる)も多用される。
「手落ち」「手抜かり」「思慮が足りなくて失敗する」など。
「ぬかるな」は、否定になるので、「油断して失敗するな」となる。「手強いぞ、抜かるな」などという。
「ざれ事とはぬかった事を言ふ」(狂言/昆布売)

「万事にぬかりなく」「ぬかりなく目を光らせる」などが常套句。
イメージとしては、たくらみの場面。「ぬかるなよ」「ぬかりはない」などと声をひそめて言い交わすシーンが浮かぶ。集団行動のなかで、緊張した状況下、「気をつけろ」「気を許すな」と確認し合う合図のようでもある。

☞とくに油断を原因とする訳ではないが、失敗した、しくじった意でよく使われるのが「これはしたり」
自分のしでかしたことに対して、しまった、やってしまった、というニュアンス。驚いたり、あきれたりしたときも「これはしたり」と発する。
因に、他人の行為に対しては、感嘆語で、よくやった、お見事の意に。

☞両刀たばねた武士の「しまった」は「南無八幡!」でとどめさす。

[一筆余談啓上]

文化庁による「国語に関する世論調査」で
本来の意味で使う人、本来の意味でなく使う人、のアンケート結果が興味深い。
「おもむろに」の意味は、落ち着いて事をはじめるさまだが、件の調査では、本来の意味で使う人が、44%、に対して、本来の意味でない「いきなり・不意に」で使う人が、40%もいるという結果だった。
驚木桃ノ木山椒の木だ。
「おもむろに」(徐に)とは、挙動がゆったりしているさま、ゆっくりと動きはじめる様子を表す。
単に動きが遅い、ではなく、「じっとしている状態からゆっくりと動作を始める」といったように、“すぐにやらないで気を持たせておいて・もったいぶって”といったニュアンス。
「おもむろに」と似た「やおら」(徐ら)もまた、本来の意味である「ゆっくりと」と答えた人が、4割強、本来の意味ではない「急に、いきなり」と答えた人が、4割半ばでどっこいどっこい。

ことばというものは、時代によってその意味も変わっていくもの、このままでいくと、どちらも本来の意味は、かってはそうだった、に分類されていくのだろう。
実感として、危惧しているのが「やぶさかでない」だ。
「やぶさか」(吝か)は、物惜しみする、未練がましい、ためらう、など思い切りの悪いさまをいう。
そうではない「やぶさかでない」と打ち消すと肯定的な意味になるのが「やぶさかでない」だ。
「やぶさか」の裏返しで、努力を惜しまない、大いに喜んでする、積極的にやりたい、の意味になる。
文化庁の調査だと仕方なくする意味だと理解している人が多い。
これは、多分に政府、官僚の答弁が災いしているのではないか。「善処することは吝かでない」とよく言うが、
「仕方がないからやるよ」と聞こえる。
とても大いにやりたい、といっているようには思えない。
お上が本来の意味をねじ曲げていくことに加勢しているようで、承服しがたい。

 


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