逆引き武士語『心得て候』☜「理解する」


『心得て候』


「こころえ」(心得)
、今日でも、何かをする際に知っておくべきこと、習ったといえる程度の技芸を身につけていること、の意味で使われる。
「心得る」といって、理解する、了解する。
「心得た」といえば、細かい事情などを理解した上で引き受け、対処する、取りはからうという意味まで含む。ずいぶん頼もしいことばだ。

そもそも「う」(得)という語を源にすると思う。
「心を得」「意を得」などの形で理解する、悟るの意味。
「◯◯するを得る」の形で、することができるの意を表した。
「ぬすびとこれを見るに、心もえねば」(今昔物語)
“盗人これを見るが、意味も理解できないので”

「心を得」の“を”省略して「こころう」になった。漢字表記は「心得」
「こころう」で、事情や状況を理解する、わかる。
(芸能・武術などの)たしなみがある、わきまえがある、精通する。
(依頼などを)承知する。気をつける。
という意味で用いられるようになった。
「こころえ」「こころう」の活用形と心得られよう。

☞「宮仕へ仕うまつらずなりぬるも、かくわづらはしき身にてはべれば、心得ずおぼしめされつらめども」(竹取物語 )
“このように複雑な身の上でございますので、(帝は)納得できないとお思いになっておられるでしょうが…”

☞「物は定めがたし。不定(ふぢゃう)と心得ぬるのみ、誠にて違(たが)はず」(徒然草/第百八十九段)“物事(の予測)は決めがたい。不確かで定めないことと理解し、悟ってしまうことだ”

☞武士は「心得る」を「理解した」「わかった」「承知する」「了解する」「引き受ける」という意味で用いていたと思う。
「心得て候」で、「理解しました」「わかりました」。
「心得申して候」で、「承知致しました」。
「『為朝が腹を切るときに、速に火を放(かけ)よ。こころ得たりや』と聞えおき」(椿説弓張月)

「心得違いをいたすな」(勘違いするな、人の道に外れるな)、
「この場を何と心得るか」(場所柄を理解しろ、わきまえろ)など時代劇ではよく聞かれる。

「しる」(知る)も「理解する」を意味する。
「心得る」は、ベースに事情や状況があり、それを納得するという形での理解で、論理的だとすると
「知る」は、感じる、意識する、見分ける、経験するという意味でも使われることからして、感覚的にわかるというような理解だといえよう。

☞古語の「知る」の意味は、幅広く、男女の交際をするという、即ち男女関係があるという意味にもなる。
「見る」が、確認する、観察するの意とともに、男女が結ばれる、妻とする。という意味にもなることと同様だ。
「知る」だけで一線を越えたことになるわけで、スクープされて、弁解の余地などありようもなかっただろう。
中国紀元前の話、最初に裸身を見た、知った男に嫁ぐのが習わしだった。
古い映画になるが「始皇帝」の一シーンで、思いがけず水浴びしている姿を見てしまった青年が、ただそれだけで夫にされたが、そういうことだったようだ。

「しるしる」(知る知る)という言い回しが面白い。
知りながら、知りつつという意味だ。
「昔、男、色好みとしるしる、女をあひいへりけり」(伊勢物語)
“昔、男が色好みの女だと知りながら、たがいに求婚し合っていた。”

☞理解しました、わかりましたに、敬いの気持ちをこめたのが
「かしこまりました」(畏まりました)。謹んで承諾しましたのニュアンス。
身分にへだたりがない間なら「かしこまった」(畏まった)だ。

「しょうちつかまる」(承知仕る)も、わかった、理解した、了解した、の表現でよく使われる。
「委細承知仕った」といえば、「詳しい事情も何もみんな理解した」「引き受けた」。

「御意のままに」も、理解しました、了解しましたの意。
善悪好き嫌いに関係なく、なんでもお指図に従います。
「御意」だけだと、了解したことにはならない。
尊重していますという様態をあらわしているだけ。私はかしこまっていますというポーズをとっています、という意味にしかならない。
「御意を得(う)」とは、「お考えをうかがう」「お目にかかる」。

[一筆余談啓上]

平安期には、物事の評価が
「よし」「よろし」「わろし」「あし」の四段階で行われ、
「よし」が最もよい評価に用いられた。
よいもわるいもあってすぐに判断のつかないことを
「よしあし」というが、
この「よし」と「あし」を指していると考えるのが順等だが、
あながち、植物の「よし」(葭)と「あし」(葦)の見分けがつかないことから生まれたというのもありだろう。

葦も葭も、一つの植物をさす異称だ。
葦・葭は、水辺にはえるイネ科の植物だから、この植物が密生した土地こそ、水稲を植えるにふさわしい。
葦が悪(あ)しに通ずるために、わざと善(よ)しに言いかえて、中世の農民たちは排水のわるい湿地の開墾をはじめたのではないか。

言葉の縁起をかついでまでも豊かな実りを懸命に願ったのだろう。
そういえば、あしの茎を乾燥させて編んでつくったすだれも
「あしず」とはいわず「よしず」という
パスカルの箴言「人間は考える葦である」が、
武士の時代に伝来していたら「考える葭」と訳しただろう。

「あし」は、そもそも日本誕生から登場する。
最初の二柱の神が生まれる様子を
「葦牙のごと萌えあがるものによりて」と古事記は書き表している。
葦牙は、葦の芽のこと。
萌えあがる成長力の偉大な植物として神格化されるほど、格別な存在だったのだろう。
記紀では、神を柱と表す。
それは、神のよりつくものが柱で、神は葦の柱におりてきたのだ。
はじめに葦ありき、そこから日本国の古名は「豊葦原瑞穂」になった。
葦(あし)が豊かな国だ。

 

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