逆引き武士語『大義である』☜「ご苦労さま」


『たいぎである』


「たいぎ」(大儀)
とは、朝廷で行われる最も重要な儀式のことをいう。
「大儀である」は、この儀式への「ご出席ご苦労さま」が原義。
いつしか、何かの働きや足労をねぎらうことばとして、目上の人が目下の者にかけるものになった。

「大義名分」「大義」とは異なる。言うまでもなく、
ご苦労さまの大儀には人篇がつく
人篇がつくと、人の具体的な様子を指したものになるが、
人篇のつかない「義」は、守るべき道とか道理というような抽象的なことを指す。

☞「たいぎ」は、「疲れた」「面倒くさい」という意味にも使われる。
「疲れた」の意になるのは、なんとなくわかる。
儀式というのは何かと肩がこるものだ。が、何故「面倒」の意にもなったのか、掘り下げてみよう。
大切なお役目を果たすのは、気苦労もあり、また、衣服を調えたり、で費用もかさむ。そこで、「厄介なことだ」と誰かがポロッと愚痴った。
すると何某が「いやはや面倒なこと」と返した。
「さよう、さよう」と口が揃って、いつしか「面倒」が通用語になった。
種明かしとしては、そんなところだろう。

☞ご苦労の意味で「大儀であった」と言うのは、多分に礼法に則ったもので、上級以上の武士が、主に用いた。
通常、武士が家来にかけるねぎらいの言葉は、「無言」だった。
首を縦に小さくふるだけで、十分だった。
身分にかかわらず、同僚とかなら「お疲れさま」ということで
「お役目ごくろうでござった」とか
「ご苦労に存じまする」と言ったのだろう。

☞他人の手をわずらわしたとき、相手に感謝することばとして「お骨折りくださりご苦労さま」というが、武士なら、
「はばかりさま」(憚りさま)だろう。
「はばかり」(憚り)は、「恐れ慎むこと」「恐縮」
恐縮に、ていねいに“様”をつけて、敬意を添えた。
思えば、御苦労様も、御と様で苦労を羽交いにくるんでいる。
相手への心遣いに重きを置いた日本語だ。

「そいつは造作をおかけした」も、時代劇でよく聞かれる。
「造作」は、手間や費用のかかることをいい、
「面倒」「骨折り」などの他、「御馳走」の意もある。

「つかわす」(遣わす)も、
身分の高い人から目下の者への労いシーンによく登場する。
「下賜する」「くれてやる」という意味で
「褒美をつかわす」
「褒めてつかわす」
が常套句。
「つかわす」の第一義は、遣るの尊敬語で、「行かせる」「差し向ける」「派遣する」の意。

[一筆余談啓上]

封建制の芯は、相互儀礼というものではなく、上下儀礼。
武士は、寸秒といえども、自他の尊卑を量り、他者と出会え
ば、
威張るか、卑屈になるか、上下儀礼を繰り返して、生涯を過ごしたという。
武士の時代、ねぎらう折に「お疲れさま」とは言わなかった。
明治に入って、使われはじめた。
茶道の弟子が師匠に、
「お疲れのでませんように」と
言っていたのが、そもそもらしい。
「ねぎらい」のことば、というのは、本来目上の者が目下の者に行うもので目下の者は、使わない。
目下の者が使うのは
「労い」ではなく「気遣い」のことばになる。
“「大儀」秀頼という青年は、家来にこれ以上ながいことばを言ったとがない。”
これは、司馬遼太郎の
『城塞』の一節だ。
“表御座所にでる
と「大儀」としか口にしないことで、城内、城下のしもじもに、秀頼が不覚人であると誤解された。秀頼を公卿風にそだてようとした淀殿の失敗であった。”と綴っている。
憚りながら、私事で、誠に恐縮だが、高校生の時に読んだ、
石坂洋次郎の『霧の中の少女』。
先日、何気に文庫本の頁を繰っていたら
「私はボンヤリと大儀そうに起き上がった」という一文に、傍線が引かれていた。
おそらく「大儀そうに」という表現が目新しく、また、意味も理解できなくて、マークしたのであろう。

 

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