逆引き武士語『率爾ながら』☜「失礼ですが」


『そつじながら』

『そつじ』(率爾)とは、「だしぬけ」「とつぜん」「いきなり」の意。
「率」は、今でもいう「そつがない」の「そつ」、本来は、無駄とか手抜かりの意。
「爾」は、「なんじ」とか「それ」「そこ」などの意もあるが、ここでは、率に付いて、その状態をあらわす助辞。
『そつじながら』(率爾ながら)で、「突然なことで、失礼ですが」になる。
人に声をかけたり、ものを尋ねるときに用いると、気が利いている。
「すみません」なんて、いきなりあやまられる筋合いは無い。
「失礼ですが」なんて、いきなりは、ほんと失礼だ。
「率爾ながら」と、たずねられたら、抵抗感ゼロで、すんなり、受け入れられるだろう。

「息災」とセットで
率爾ながら、お父上はその後ご息災でいられますかな」
というようにも使われる。

「りょがいながら」(慮外ながら)という言い方もある。
「慮外」とは、「おもいがけない」「意外なこと」「ぶしつけなこと」、「そんなこと思いも寄らない」という意味。
「慮外ながら、ひと言申しあげます」などと用いる。
逆に、だしぬけの無礼をなじるのは、「慮外なことを」
名乗らぬとは「慮外でござろう」というような言い回しで使われる。

☞「非常に無礼だ」「無礼にも程がある」と思ったら「慮外千万」
あまりにも意外なこと、極めて予想外なことの意で用いる。

☞「無礼者」「失礼な人」を「りょがいもの」(慮外者)という。「この慮外者めが」と、り飛ばす。

☞突然に来訪する場合に
「失礼ですが」ではなく、「こんにちは、ごめんください」のニュアンスなら、「たのもう」(頼もう)だ。
頼もう、ご主人はご在宅ですか」というように。
時代劇では、道場破りは、このひと言から幕が開く。

☞案内を乞うという意味では
「ものもうす」(物申す)もある。
ただし、「物申す」は、「抗議する」という意味もあるので、取り扱い要注意。
因に、自分から一方的に訪ねていくことは「すいさん」(推参)で、「推参仕る」とかいう。
「まかりこす」(罷り越す)もありだ。

[一筆余談啓上]

「牛に分別なし、足あれば、いづくへか登らざらん」(徒然草/第二百六段)
「分別」とは、古語辞書を引くと、「物事の善悪を区別すること、また、その能力」とある。その意味するところはさておき、「ふんべつ」という語感に惹かれる。

「分別どころ」というと、厠(かわや=便所)のことだ。
「思案をするところ」という遊びごころが楽しい。
もっともよい考えがまとまる、思いつく場所を、“廁上、鞍上、枕上”。これを「思案の三上」という。
こと、廁上に関しては、川柳でも「雪隠ででる分別は 屁の如し」と揶揄されるように、あまりよいアイデアはでないようだ。
『雪隠の知恵 ふんは出てべつは出ず』(柳多留/三十三)とも。

『分別すぎれば愚に帰る』は、あまり考えすぎるとかえって迷い、失敗することが多い、という諺。
『分別顔』とは、いかにも分別がありそうな顔つき、態度。
「分別顔で意見される」と、ついお腹の中で舌をだしてしまう。

『分別ゴミ』僕はこれを「ふんべつごみ」と言っている。

「物事をよくわきまえる」という「分別」本来の意味から考えて、
アイロニカルだがよくできた呼称になる。なぜ「ぶんべつ」?分ければそれでよいというもではなかろう。ゴミを軽んじてはいけない。

 

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