逆引き武士語『三国一』☜「世界一」


『さんごくいち』

「三国一」(さんごくいち)とは、日本・唐土・天竺の中で第一であること。
外国のことをさして、唐天竺(からてんじく)といった。
唐土(もろこし・中国)と天竺(インド)。日本を含めこの三国が世界だった。
そこで、三国で一番といえば、世界一であることを表した。
「三国一の山」は富士山で、またといない美しい嫁御寮を称して「三国一の花嫁」といった。
「世界」の概念としては非常に遠いところといった漠然としたもので、その果てが天竺だった。

☞今にいう、ワールドの意味とは異なるが、「世界」という言葉自体は、上代からあった。
「世」は、三世(過去、現在、未来)にわたる。
「界」は、四界(東西南北)にまたがる。
を原義に、人間界、国、世の中、周囲、とさまざまな意味に用いられた。

☞『竹取物語』の中でも「世界」が使い分けられている。
『それを昔の契りありけるによりなむこの世界にはまうで来たりける』
これは、人間界。
『疾き風吹きて世界暗がりて』
これは、周囲、辺り一面。

☞室町将軍足利義政は「世界平均」ということばを好んだ。
上下も東西南北もまったくない、という考えを表したものだ。
「一視同仁」どんな人に対しても分け隔てないとし、
将軍としては無能だったが、思想家としてはなかなかのものだったようだ。

「天下」も世界ともいえるが、天の命を受けた者が天の下(空の下、高天原の下)地上の世界を支配するという、天皇の支配力の正当さ、広大さを表すことばとして用いられた。
この天下をひっくり返したのが織田信長だった。
「天下布武」の印判に、武力による天下平定の意志を明確に掲げた。信長以降、「天下」とは、国を越える統一概念として、支配者、統一者という新たな中央集権像をあらわし、また天下人の支配権の及ぶ地理的範囲を指した。
因に、『太平記』の記述では天下の北限は津軽の外の浜。
江戸時代に至っても、厳密にいえば、
北海道も北方四島も天下という中には入ってなかった。

「天下」も将軍のことを「天下様」といったり、さまざまに用いられる。
「天下に号令する」の「天下」は一国全体。
「天下に名を馳せる」の「天下」は世の中。
「かかあ天下」の「天下」は権力。思うままに振る舞うこと。
「天下の大泥棒」の「天下」は、比類がないこと。

[一筆余談啓上]

まだテレビの普及していなかった少年時代、ヒーローは、映画の中にいた。長谷川一夫の鼠小僧、嵐寛寿郎の鞍馬天狗、大友柳太郎の丹下左膳、近衛十四郎の柳生十兵衛……

いの一番は、「天下御免の向こう傷」、ご存知、旗本退屈男だった。
“ところは、色里吉原仲之町。前髪立ちの若衆危うし、その時スッと黒羽二重の着流し、平安城相模守を落とし差しにした深編笠があらわれる。
その姿を見るやいなや、狼藉者、たちまち退散。それもそのはず、江戸八百八町に竹光なりとも刀差するほどのものならば、その名を知らぬ者のない、人呼んで旗本退屈男、早乙女主水之介その人なり。”

市川右太衛門の当たり役。
1930年から63年までに30本制作された。回を追うごとに、舞台は、狸御殿みたいに絢爛、衣裳も、どがつくほど派手になって、黒羽二重の着流しなんて、どこかにすっ飛んでいた。

トレードマークは、額の三日月型の向こう傷。
僕の眉間にもあった。
いまになっては、シワが深く刻まれているようにしか見えないが、ミシンの角にぶつけてつけたものだ、と聞かされていた。
必殺の構えは、諸羽流正眼崩し「天下御免の向こう傷」と額に指差し、「ぽっ!」と息を吐く。
このポーズを真似て、チャンバラごっこをした。

禄は旗本千二百石。
「将軍家以外に膝を屈しない天下御直参」
というのが、意味も解らないのに、なんとも格好よかった。


 

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